私が家庭教師に伺うようになった家庭から、よく言われることがある。それは『たかはしさんが来るようになってから、うちの子は勉強する時間が増えた』とね。
家庭教師の良さは何ぞやと言うと、『カスタマイズ』だと思うんで、その生徒々々の習熟度に合わせて、的確にリアルタイムに『○○くんはここをやれば、点が取れるど!』てなとこを指示し、生徒はやるべきことが見えるんで、そこをやる。
家庭教師に来た直後の面談で、よく親御さんから『どこを勉強したらいいかわからないみたいなんで…』と言われることが多いが、結果的に私の指導はその問題点をクリア出来るようになるってワケ。
色んな塾でももちろん指導はしてるんだろうけれど、どこもあまり点数点数って言われないようで、生徒もその辺りが明確化出来ないようだ。
最近思うのだが、学校の先生も、テスト問題1つ見ても、かなり入試の出題傾向からかけ離れたテスト問題を出して、へんな個性を出しているように思う…
よく全国の附属中の生徒ママさんから、『附中はよくへんな問題が出るんですよ』と言われるが、これはいわゆる『附属プロパー』と呼ばれているものだ。
附属中の先生の中には、時々中学教師が片手間で、大学研究が中心のため、生徒や親のニーズからかけ離れた研究本意な内容のテストが出されるため、『附属プロパー』と呼ばれるのだ。
しかし、その『附属プロパー』が最近公立中学の先生が出したテスト問題にまで、散見されるようになって来た。
『中学教師総附属中教師化』が見られる。特に国語ではその傾向が強い。個性的な問題を出して、教師の個性をテストでアピールしているかのような問題もある。
中1・中2ならそれも良かろうが、中3でそれをやられてもなぁ…と思う。入試問題では作文が出るし、教師もそれを重々わかった上で、確信犯でテストに作文を出さない学校が多い…
生徒は『作文は何を書いたらいいかわからない』と口々に言ってる一方で、宮城県の入試の作文は5教科の一問あたりの点数では最大得点の20点も配点だ。教師が中3のテスト問題を作る際に、私は一学期の国語問題からは強制的に出すべきだといつも思う。
ちょっと個性を出す方向性が間違ってるんじゃないかなぁってね。
親方日の丸になると、何で民間人と意識がかけ離れるんだろうな…困った連中だ…
家庭教師の良さは何ぞやと言うと、『カスタマイズ』だと思うんで、その生徒々々の習熟度に合わせて、的確にリアルタイムに『○○くんはここをやれば、点が取れるど!』てなとこを指示し、生徒はやるべきことが見えるんで、そこをやる。
家庭教師に来た直後の面談で、よく親御さんから『どこを勉強したらいいかわからないみたいなんで…』と言われることが多いが、結果的に私の指導はその問題点をクリア出来るようになるってワケ。
色んな塾でももちろん指導はしてるんだろうけれど、どこもあまり点数点数って言われないようで、生徒もその辺りが明確化出来ないようだ。
最近思うのだが、学校の先生も、テスト問題1つ見ても、かなり入試の出題傾向からかけ離れたテスト問題を出して、へんな個性を出しているように思う…
よく全国の附属中の生徒ママさんから、『附中はよくへんな問題が出るんですよ』と言われるが、これはいわゆる『附属プロパー』と呼ばれているものだ。
附属中の先生の中には、時々中学教師が片手間で、大学研究が中心のため、生徒や親のニーズからかけ離れた研究本意な内容のテストが出されるため、『附属プロパー』と呼ばれるのだ。
しかし、その『附属プロパー』が最近公立中学の先生が出したテスト問題にまで、散見されるようになって来た。
『中学教師総附属中教師化』が見られる。特に国語ではその傾向が強い。個性的な問題を出して、教師の個性をテストでアピールしているかのような問題もある。
中1・中2ならそれも良かろうが、中3でそれをやられてもなぁ…と思う。入試問題では作文が出るし、教師もそれを重々わかった上で、確信犯でテストに作文を出さない学校が多い…
生徒は『作文は何を書いたらいいかわからない』と口々に言ってる一方で、宮城県の入試の作文は5教科の一問あたりの点数では最大得点の20点も配点だ。教師が中3のテスト問題を作る際に、私は一学期の国語問題からは強制的に出すべきだといつも思う。
ちょっと個性を出す方向性が間違ってるんじゃないかなぁってね。
親方日の丸になると、何で民間人と意識がかけ離れるんだろうな…困った連中だ…