障害者施設で働いていたときに、ふと思ったことがある。
たしかに、親目線だと↓のようなことを考えちゃうんだろうな…
が、障害者施設で働いていた際に、ケンちゃんと呼ばれていた私と同級生がいた。
障害者年金一級をもらい、障害者就労支援施設B型から2〜3万円の給料をもらうと、ぶっちゃけ高卒で働いてる人よりはだいぶ収入が上だ。
ケンちゃんはとても歌がうまく、テレビの振りマネがとても上手なおじさんだ。ピンクレディのUFOの振りマネを完璧に再現できる人だ。好きなカラオケに行くと、とても楽しそうだ。
が、しかし、我々の生活を見てみよう。
嫁としょっちゅうカネのことでもめて、私は嫁からなじられる…嫁としょっちゅう家事のことで文句を言われる…家族のために気を使って料理を作ると、嫁からあたかも海原雄山じゃないのかっていうくらい私の料理に対して苦言を呈してくる。
正直、幸せってなんなんだろうって、そのケンちゃんを見てると、私はずーっと思っていた。
よく一般人・健常者は障害者ってかわいそうとかいう。が、障害者を見ていると、彼らはそんな不幸だとは思っていないし、むしろ我々一般人・健常者よりも楽しそうに見える。
私、何年カラオケ行ってないだろう…
私、何年遊園地でコーヒーカップに乗ってないだろう…
障害者の生活の方が、我々一般人や健常者よりも数倍楽しそうに見える…
時々、ふと思う。
俺は嫁になじられるために生まれてきたのか?
俺は子どもから『いつもいない』となじられるために生まれてきたのか?
俺は部下や上司になじられるために生まれてきたのか?
俺はカネのために、あくせく働くために生まれてきたのか?
そのケンちゃんに限らず、障害者をみているとみな好きなことをやって、それなりの収入を得ているのも事実だ。
なんか私には何が幸せなのか、全然分からない。かといって、私が不幸だとは思ってはいない。
が、かと言ってこれが幸せなのか?というと、甚だ疑問に思う。
ぶっちゃけ、ハウンドドックの歌じゃないけど、
立ち止まることも許されず
脇目を振らずに走り続ける
って感じだ。
高校生や中学生のときみたいに、
俺は・私はなんのために生まれてきたんだろう?
俺は・私は世の中の役に立ってるんだろうか?
そんなことなどとうに考えなくなっていた。
いまの世の中、生き方は多種多様だ。
幸せも多種多様だ。
そして、何が正解で何が不正解なんて誰にも分からない。
一方で、この生活、ネガティヴに考えると悪く感じるかもしれないが、逆に考えると何も考えずにひたすら前だけ見ているので、ある種充実した生活であるように感じる面もある。
結論は何なのか?死ぬ間際、俺はどんな価値観でいるんだろうか?