うちの職人だった父親がよく『本当は職人と言うのは、出来れば中学あがりでなるのが最良だ』と言う話しをしていた。
私も数年間父親の会社を継いだことがあったが、継いでみて父親の言葉がしみじみよくわかった。18・19歳以降で社会人になると、随分頭が堅くなっていると感じる。ましてや、大卒と言うと、もう理屈っぽいし、理論が先行していて考えを体現出来なくなっていると思う。
が、現代社会においては早くても専門学校卒の二十歳からで、一般的には大学出の22歳から就職するのが通常だろう。まあ宮城県の場合は高卒で就職するがね。日本の成長が鈍化・停滞化して居るのは、そうした社会システムのせいな気がする。
私は父親に『職人の子に学は要らん』と高校へ行くことを反対されたことを、昨日のように思い出す…その私が、中学生に高校へ入れるための手引きをしているってこともまた、運命の皮肉さを感じる…
私自身、『大学不要』とも思っている。大学は旧帝大と関関同立と早慶MARCHと各都道府県に医学部だけあれば十分だと思う。入学金は一億・授業料は月100万ぐらいにして、ちょっとやそっとじゃ行けなくしちゃえばいいとさえ思っている。本当はね。
教育に金がかかり過ぎているなぁと思う。日本は最早貧乏な人が下剋上や立身出世するチャンスがなくなっている気がする、親が子のために苦労をしない限りはね。
金持ちでも何でも無い私が、身を粉にして我が子のために働いているのもまた、ある意味滑稽でもあり、アンチテーゼでもあり、矛盾とも言えるわな。
勉強は仕事よりもさらに年齢が低年齢化してる。個人的に勉強が出来る子にするためには、遅くとも小2までに基礎的なことを縦横無尽に使えるように公文や学研教室にやり、応用力は遅くとも小5までに塾で培わなくてはならないと、生徒たちをみていてしみじみ思う。
もちろん金をかけずにやれなくは無いが、母親が我が子にそれをやれる確率は一万分の一だと思う。どうしても母親は我が子に対して感情を律して教えられる人は少ないから…
我が子の中学生時に400点越えをさせたいなら、少なくともそう言う教育を子にせねばならない…
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職人学と勉強学
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