りかちゃん先生の同期世代の子で、私は多賀城市の東豊中の生徒を見てました。
東豊中は
私が教えていた生徒宅は、震災があった前年に自宅を新築し、そのわずか一年後に貞山堀から200m先だったこともあり、津波があっと言う間に来て、一階部分がゾックリ流されていた…
この映像は先ほど東豊中学校のマップの画像に太い橋があるが、その橋の辺りからの動画だ。津波の勢いを見れば分かると思うが、この後に貞山堀の防波堤を津波は乗り越えて来たのだから…
で、その子の家は余儀なく仮設住宅に行くことになった。確か家族も多くて、被災した自宅もかなり大きい感じだった。お父さんが私の一個下で、私と同じ天真小学校出身でね。
高校で同期の電子高の番だった多中の寺内健くんや山本一貴くん、天真小学校時代の私の友達の渡辺誠くん(通称デコマコやマコトワンとも言う)や丸山公務員住宅にいた高橋真くん(通称マコトツーと言う)と同じ多中のサッカー部の後輩だった。
世間の狭さを感じましたね…寺内くんの後輩なんすもんね。その息子の彼は、多賀城高校を受験した。個人的には、彼に多賀城高校はキツい感じだった。が、倍率は確か低かったけどね。
しかし、その東日本大震災により、主に七ヶ浜町内の中学生が津波により被災し、確か私の記憶では6人の中学生の命が失われ、そのうちの3人が多賀城高校受験生だったと後で聞いた…
で、昨日話した通り、この年の宮城県公立高校の合格発表は延期になり、そのせいかその彼は多賀城高校に合格した。流石の本人も『俺は亡くなった子が出たおかげで、多賀城高校に受かったので、素直に喜べない…』とも話していたしね…私もおめでとうの声を掛けてあげられなかった。
その彼も後に学院大に入って、おそらく今春卒業なんだよな…
亡くなった3人の分まで、頑張って欲しいと、切に願いますわ。でもかと言って、そこまで片意地張らずに自然体で生きて欲しいっすね。