私の元生徒で高二になった子がいるが、高二になると結構『(高校を)辞めたい…』と考えている子が多い…
あと一年もあるという閉塞感…
体は大人なのに、法律上は子ども…
自分の意志でやりたいが、何かをしようとすると親が邪魔をすると言う拒絶感…
何をしても満たされない心の奥底から感じる枯渇した現状…
誰かにすがるにも『何かが違う、何かしっくり来ない…』
やりたいことはあるけれどもその中から絞り込めない焦り、またはやりたいことが全く無く刻一刻と年齢を重ねて社会に出てしまうと言う焦燥感。働きたくないがかといって生涯ずーっと遊んでも要らないし…
思春期特有の思考だよなぁ…表面上は楽しそうに見えるんだがね…
私の場合は彼女に埋めて貰おうと、とっかえひっかえしても満たされなかったな…まるで麻薬やモルヒネみたいにその一瞬だけ緩和されても、時間が経つと元の木阿弥になり、
『違う、違う…』
今にして思うと、彼女の中に私の心の中にある母親像を求めていたと思う…私はもちろん実母はいるが、物心がつく頃に婆さんと親父のところをうろうろさせられたため、母親母親してもらえなかったことがその根底にあるように思う…
女を捨てられなかった実母に対する憎しみが、今なおあるからなぁ…
子ども心に母親の女としての部分だけは見たくなかった…母親の母親たる所以だけ味わいたかったと…
家庭教師をしていると、マザコン息子がまばゆく見える…母親に甘えられる年齢のときに甘えたかったなぁと…
高校が嫌いだった…行きたくなかった…毎日毎日「辞めたい・・・」っと考えていた。が、かといって実際に高校を中退した中学の同級生たちをみていると、お世辞にも充実した生活を送っているとは到底思えなかった自分が居た。逆にビミョーな生活をしていると、リアルに思った。
私の場合、父親が内装工事業をやっていたので、『中退=内装職人になる』を意味していたので、それだけは避けたかったという意識が働いたんだと思う。まぁ結果的に中退してもしなくても、高校卒業後に内装職人になったのだがね…何せ電子高(現:東北工大高(来年度より城南高になる))学年ビリを2年半守り抜いた人だからねぇ…特にやりたいことがあったわけでもなかったしね、あの頃は…
現:城南高校にまだいるのかはわからないが、当時居た英語グラマー(=英文法)の中居先生が授業中によく「not only but alsoは東北学院大学によく出るぞ」とか、古文の岩倉先生の「今は昔、絵仏師良秀というものありけり」とか、数学Ⅰの吉田先生の「コーサインシーター(正確にはcosθ)」という台詞ばかり物真似して、内容や意味は当時まったくわからなかったし、わかろうともしなかったがね…
当時、高2だった時に私がよく好んで聞いていた曲
HOUND DOG 『Black Bourd Jungle』
http://www.youtube.com/watch?v=aUw0-vM2y7s
はこんな曲だったなぁ…
毎日がつまらなくてつまらなくて…
「♪まるで刑務所さ 校舎の壁の色~」
「紙切れ(=テストの答案や通信簿のこと)一つで大事な生き方 決めつけられちゃたまらねぇ!」
とかリアルにそう思ってたなぁ…
今時の高校生たちもまぁ少なからずそう思っているのかも知れないな。
Android携帯からの投稿