私が初めて東京に住んだ時のカルチャーショックを覚えたベスト5です。
私も高校生のときは電車通学をしていたけれども、東北本線の乗客はこんなに本を読んでないなって感動すら覚えました。
電車に乗り遅れても、すぐに電車が来る点には驚きました。また、仙台の人と違って、こっちの人は全然車に興味がない点や、むしろやたら車慣れしてないので、車に乗るとやたら車酔いする人が多いことにも驚きを覚えました。
一位:電車内でめっちゃ本を読んでる人が多い光景をみたとき
私も高校生のときは電車通学をしていたけれども、東北本線の乗客はこんなに本を読んでないなって感動すら覚えました。
二位:山手線が三分に一本電車が出てること
電車に乗り遅れても、すぐに電車が来る点には驚きました。また、仙台の人と違って、こっちの人は全然車に興味がない点や、むしろやたら車慣れしてないので、車に乗るとやたら車酔いする人が多いことにも驚きを覚えました。
三位:仙台では高校生がやってる合コンを東京では大学生がやってる点
いまは違いますが、私が大学生だった頃は、
仙台の男子校→一高・ニ高・三高・釜高・角高・白高・古高・石高・気高・築高・仙商・学院・学院榴・工大高・育英・東北
仙台の女子校→宮一女・宮二女・宮三女・釜女・角女・白女・古女・石女・鼎ヶ浦・築女・女子商・石巻市女・白百合・宮学・尚絅・ウルスラ・常盤木・ドミニコ・聖和・朴沢・三島・ドレメ
共学だが事実上の男子校→市工・向山
共学だが事実上の女子校→南、松島、名取
男女別学→県工
共学→西、東、黒高、泉松陵、泉、泉館山、仙高、宮城広瀬、名取北、多賀城、利府高(梨高)
こんな感じだった。だからいまと違って、
共学=負け組
って感じの雰囲気だった。なもんで、男子高生・女子高生が出会いを求める場と言えば、『飲み会(=合コンのこと)』か『文化祭』だった。私は電子高(現在の仙台城南高校)だったので、尚絅か三女(現在の仙台三桜高校)の女の子と遊ぶケースが多かった。生徒会だったので、三女高の生徒会の子たちと付き合ったり、遊んだりしていた。
だから、合コンというと高校生がするもんだと思っていた。王様ゲームというものも、仙台では『くじ引きゲーム』と呼んでいて、すでに高校生の頃に経験済みだった。山手線ゲームも、その原形だったものも高校生の時にすでにやっていた。
飲み会であったがゆえに、当時すでに仙台独特の『一気コール』もあったので、これも体験済み。
なんだ東京の大学生、仙台の高校生みたいなことしてるなぁ!これには私はかなり衝撃を覚えた。
四位:東京にはヤンキーがいないこと。かわりにチーマーがいる点。
東京にもヤンキーがいると思っていたら、やたらヤンキーと言われると否定して、『俺たちはチーマーだ』と言い張るのには滑稽な感じすら覚えた。まるで電子高生みたいだなってクスっと笑った。
電子高生や学院榴生にもそうした意識が昔あった。ただ、電子高生の場合は格好はボンタンや学ランだったけど、育英や仙商の奴らと違って、学ランの裏地にペーズリー柄やチェック柄などをあしらって、『オシャレ感』を出していた。育英や仙商なんかは専ら中ランを着ていて、学生ボタンが5個だったのが、電子高生は趣向が多彩で4個派・5個派・6個派と人気が三分されていた。4個派が多数派だったかな。
そして学院榴はほんと東京のチーマーっぽく、チームジャンパーがあり、東京のチーマーと違って、全員がスタジャンだった。部活毎の場合もあれば、チーム毎の場合もあるし、とにかく多彩でオシャレだった。が、電子高生に言わせると、
って感じでした(笑)
まっ、いま冷静に考えると
筋金入りのヤンキー→育英・南光
準ヤンキー→仙商・県工・市工
インテリヤンキー→学院
小ジャレたヤンキー電子高
軟弱なヤンキー→学院榴
田舎のヤンキー→釜高・黒高・松高・宮農・古商
かな。てか、ヤンキーばっかだな(笑)
五位:仙台では高校がゴールなのに、東京では高校に興味がない点。
東京では高校名に興味がない人が多くて、これも仙台人的にはかなりのカルチャーショックだった。むしろやたら大学名は聞かれた。で、明大生や明大OBとあたるとやたら話しが盛り上がった。まるで仙台の高校名を聞くような感覚なんだなぁと。
でも、高校は逆にどうでもいい感が漂っていて、自分があんなに高校にこだわっていたことが超馬鹿らしいなぁ〜って思いましたね。でも、自分はどっぷり仙台人だったので、あの頃から既に東京の高校を研究するようになり、それが家庭教師派遣会社に勤めたときは役に立ちましたわ。
まあこれが私の東京に初めて行ったときのカルチャーショックだったかな。
まあ標準語だと思っていた言葉が、方言だったと気がつくこともある意味カルチャーショックだったけどね。