平成六年三月から約一年もの浪人生活のすえ、私は明治大学に合格し、平成七年四月に明治大学の門をくぐった。
浪人生時代、苦労して苦労して頑張って成り上がって偏差値が劇的に上がり、『やり切った!』と言う思いが去来した。危うく泣く一歩手前まで行った。
同じ予備校で、同じ井川ゼミだった大日方祐子ちゃんママと大日方祐子ちゃんと一緒に出席したなぁ〜。祐子ちゃんママに、千束パーラーでパフェと食事をご馳走してもらってね^ ^
でもそれっきり彼女とは会ってないけどね。彼女は明大マンドリン倶楽部に入っちゃったので、忙しかったみたいなんでね。
ちょうどうちのクラスには仙台ニ高の人や宮城一女の人、石巻西の人、学院榴の人もいた。嬉しかった。『ああ、俺はニ高や一女の人と肩を並べることが出来たんだな。これで高校受験で落ちた仇は撃てたな、リベンジ出来たんだな!』っと、そんな思いが胸に去来した。
高校受験で落ちて以来、俺はずーっとナンバースクールの人に対して、劣等感を持って生活していた。一高・二高・一女・二女の女性の人と出会う度に、『俺は平民、一女・二女の人は貴族・華族』と身分の違いと言う壁を、自分で勝手に作ってしまって、畏れ多くて近づけなかった…
でも何故か三高にはそんな思いが芽生えなかった(笑)三高生って意外に身近にいたのでね。イー君、タカシ、ヨシカズ、そして五橋のビックダディーこと出雲さん旦那さん、土井先生、小泉先生などなどとね。
明治大学に入って、そんな劣等感を持たなくなり、時々親御さんや生徒さんの姉兄がナンバースクールに行ってても、『へー』で終わるようになった。ナンバースクール生とも普通に話せるようになった。
自分が自分で勝手に作っていた呪縛から、明治大学が俺を開放してくれたんだなぁって思った。
日本武道館は桜が満開で
何度も何度も
この曲のフレーズの
♬やっとぉ試験にぃ〜
♬受かったとぉ〜
♬喜び勇んでぇ〜
♬歩く並木道ぃ〜
♬肩にセーターとぉ〜
♬下ろし立てのバスケットシューズ
♬髪を翻しぃ駆け上がる校舎ぁ〜
このフレーズばかり何度も何度も頭の中でリフレインして反芻した。
あの当時、ロン毛だったたかはしは、まさに髪を翻して校舎の階段を駆け上がっていた。
私は一言高校生に言いたい!
大学は高校受験と違って、レベルがどうとか評定がどうとかじゃなく、好きな大学を受けて欲しい。そして出来れば好きな大学に入学して欲しい!
妥協とか、無理強いは高校だけでいいべ。だから、入りたい大学だけを受けて欲しい!
浪人したっていいじゃないか。好きな大学に入るために、一年くらい臥薪嘗胆したっていいじゃん。
あと、親がどうしても反対するなら、時に強行突破してもいいんじゃないか?
実は私も親に反対された。特に母親にね。金も出せないって言われた。けど、それでもやっぱり大学には、東京には、明治大学には行きたかった。だから、新聞奨学生をやった。保証人は婆さんと叔母さんに頼んでなってもらった。だから、オフクロの反対を無視して強行突破して振り切って、東京に出た。
うちは裕福じゃなかった。バブル経済の崩壊で、父が借金背負ってたの知ってたし、倒産しそうなのに、頼ろうにも頼れなかった…だから新聞奨学生をやった。
そろそろ小学生じゃないんだから、親の言いなり人生辞めてもええんちゃうのか?俺は親の言いなり人生なんかまっぴらゴメンだど。
別に長男だからとか、長女だからとかって考えなくてもいいんじゃねえのか?何でもかんでも親にすがって生きるだけが大学への真っ当な進学方法じゃないんちゃうか?
自分の人生、一度きりなんだから、自分で好きなことやれよ!俺は高校生にはそう言いたい!