正直、5教科150点未満の子はなんらかの障害があるものと推察する。ことに、5教科100点未満になればなるほど、その線はより濃厚だ…
こうした子はいわゆるボーダーと呼ばれてる子か、極端に晩成血統かのいずれかだ。なかにはボーダー以下の子もいる。親の見栄で普通学級に強引に放り込んでいる子もいたりする。
私はそう言う子には、ズバっと親に状況を話している。なかにはとても煙たく感じる人もいよう。
でも、1つ問題が生じる。それは、健常者の下の方で生きるのが幸せなのか?障害者のエリートと呼ばれるのが幸せなのか?ってことだ。
男子の場合だと、フリーターか肉体労働、女子の場合はフリーターかウォータービジネスと言う選択肢になろう。
塾に通っても、家庭教師をしても、結局は下りのエスカレーターを全力で駆け上がるようなものだ。
しかし母親の立場として、そうかと言って黙って見ても居られないものだ…
以前働いていた障害者施設に、『鶴谷特別支援学校のエリート』と呼ばれていた利用者が居た。その子はまるで健常者のようになんでもこなせる人だった。
が、計算、それも引き算や掛け算が出来ない。割り算なんて尚更出来ない。でも掛け算っぽくした足し算は出来た。列を作って、その列を足して行く感じね。原理としては掛け算と同じだが、それを足し算で計算すると言う感じだ。ただし、それを数字では出来ない。段ボールとか箱とかで列を作って、その列ごとに数えるって感じだ。バスや地下鉄や電車も一人で乗れるし、携帯やゲームなんかも扱える。しかし、障害者のエリートと呼ばれる彼も、普通学級に行くと途端に5教科50点そこそこだった…
いやらしい話し、障害年金をもらって、かつ障害者就労支援A型施設のお給料をもらう方が、健常者に交じって単純労働や肉体労働をしている以上にお金がもらえるというこの現実がある…
そして、健常者のなかで単純労働や肉体労働をしている以上に、就労支援施設職員には一目を置かれるし、他の障害者からも一目置かれるので、『やりがい』という観点で考えても、年金+就労支援施設の給料の方が、働いてる実感があるように見える。
父が職人だったこともあり、私が高校を卒業したての頃、ちょうど中野中の特殊学級を卒業してすぐ、父の元で職人をやったマナブ君と言う子がいた。私の四個下かな。
彼は計算が出来なかったので、なかなか軽量鉄骨下地組は出来なかったが、間仕切を立てたり、石膏ボード貼りは上手だった。障害者と言うこともあって、足元をみて給料を支払っていたが、ゼネコンに請求するのは健常者として請求していたため、現場によっては常用の場合があるのだが、彼でも健常者として常用単価を請求しているので、物凄く儲かっただろうな、父は。
計算が出来ないので、加工は難しいが、貼り方は出来たので、私はいつもそのマナブ君とコンビを組んで、私が加工した石膏ボードを彼が貼っていたなぁ。福室のNICEステージ高砂中央と言うマンションでは、だいぶ儲けさせてもらった。
障害者でも部分的な感じでは、使い方によっては力を発揮することが出来る。が、使う側の配慮も必要だ。
果たして、あなたならどちらが幸せだと思うか?
障害者のエリートか、単純労働で部分的な力を発揮して足元を見られて給料を払われるのか?!