今日で『あの日…』から6年目か…
『あの日…』はちょうど娘がタドラーさんからK4に上がるタイミングの年だった…それが間もなく小5になるんだよな…
瓦礫だらけだったうちの南三陸町の実家のほど近くには、
リニューアルした南三陸さんさん商店街になった…
実家の跡形は最早無い…実家の土地の名義が三から四代前のままだったこともあり、うちには一銭のお金も入らなかった…
志津川に住んでいた身としては、一抹の寂しさを覚える…果たしてこれが皆が望んでいた『復興』なんだろうか…っと、いう思わなくは無い…
『防災』の一言で、
全人口の4%の方が、死亡ないし行方不明になった。これを多いと言うのか、少ないと言うのかは私には分からない。また、私のように哀愁を感じていること自体がヌルいのかも知れない。集団疎開して然るべきなのかも知れない。が…っと思わなくは無い…
でも、私は敢えて言いたい。この復興は民意なのだろうか?っと…東京のお役人たちが何回か南三陸町を視察して、霞ヶ関で青写真を描いて、それを宮城県や南三陸町が押しつけられたものではないのか…っと…
でも、賽は投げられた。今更後戻りも出来ない。