私は子どもの頃から、父親が内装職人の親方だった影響で、夏・冬・春休みや、工期の無い現場に連れていかれて、ボードや軽鉄下地材の材料運びや、工事をさせられたりしていました…まあ無賃強制労働ですな。いまはもう現場自体がうるさくなったので、もちろん小・中学生が工事現場に入れなくなりましたがね。
そのせいか、どうも建築作業と言うと、『タダ働き・強制労働』と言うイメージしか持てなかったです。
思春期で、『俺はオヤジのようにはなりたくない!内装屋だけはやりたくない!』と、父親が右と言うと私は左って感じで、いま教えている子なんかを見てると、父親と親しげに会話してるのを見ると、『すげぇな!』って、思いますね。私的には思春期のあの頃、父親に近づくと『現場に連れていかれる…』と言う印象が強く、嫌で嫌でたまりませんでしたね…
でも、私もおっさんになり、ちょうどあの頃の父親に近い年齢に、いまなってみると、かなりうちの父親的なモノの考え方・仕草・行動に似ていることに気がつきます…
若い時はそれを認めたくなかったり、自分で自分に嫌気がさしたりしてましたが、今は『親父が乗り移ったような感覚』が意識出来たりして、肯定出来るようになって来ました。
親父と対面すると、仕事の話ししか出来ない人でしたが、今、この位の年齢になってしみじみ親父のように仕事の話ししか出来ない自分が居る…
何を見ても指導や塾経営に使えると言う思考をしてしまう自分…まさに親父的発想の自分…
カラスの子はカラス、自営の子は自営、人に使わる発想はせずに人を使う発想ばかりする自分…骨の髄まで父親的な自分にね…
アンチテーゼだった父親のはずが、父親にシンクロしてる自分が居る…
これも血・遺伝・DNAなんだろうか…
その一方で、人に使われてもいる自分にちょくちょく違和感を感じる…
最近、自分がまだ父親の手の中にいる孫悟空のような感覚を覚える。
不思議なもんさな…娘にも最近『ああ、俺の子だな…』と思う行動が目につく。
たかはしの血がこうして継承されているっとね。
『父親の小言と冷酒は後で効く』かぁ…