私は高校卒業して、6年ぐらい社会人をやって、その最後の方に病気をして、それが原因で『ああ、俺はもう力仕事なこの内装職人でバリバリの第一線で食ってくことに、限界に近づいたな』って思い、そこで病床のなか何百冊もの本を読破して、中学生のときに夢見た『明治大学に行こう!』と決めたのでした。22歳のときかな。22歳の12月でした。そこから大学受験が始まりました。
で、正直ブランクがあり、予備校に通うことに対して敷居が高く感じ、とりあえずその歳は受験まで2ヶ月しかないので、自力でやれることはやろう、ダメなら違う道を模索しようと考えました。で、その年は当然準備期間もなかったので、当然ダメでした。
そこで、予備校に通い始める前段階として、6年と言うブランクを埋めるために考えたのが、仙台一高通信制の特科生でした。正直、高校に入り直したかったんですが、一旦高校を卒業すると、規定により高校には再入学が出来ないってのをその時に私は初めて知りました。で、当時、私の中学の恩師たちのほとんどが利府町立しらかし台中学校に在職していたので、『高校で何か学び直し出来るところがないか?』っと聞いたところ、そこで出てきたのが仙台一高通信制でやってる特科生と言う制度でした。
この特科生と言う制度は、高校を卒業した人がもう一度高校の勉強を学び直しするための制度で、好きな科目を好きなだけ履修することができます。私は英語・国語・日本史・政治経済をそこでチョイスしました。で、その際に久しぶりに部活っと言うものも体験しました。何部に入るか悩んでいたら、近くの人から『ビデオ部』に勧誘され、何の気無しにそのビデオ部に入りました。
その勧誘した人は俳優志望だったので、役者を選んでいましたが、私は職人でしたが職人くさい大道具はやりたくないなって思ってたときに、当時顧問の山上先生から『カメラマンが居なくて』と言われて、カメラマンに抜擢されました。で、その際にカメラ撮りだけではなく、撮った動画の編集作業もさせられることになりました。
で、結局、その『ビデオ部』の体験が、後々私がYouTubeで動画を撮ったり、編集したりすることになった礎となったんですよね。正直、仙台一高通信制にいた山上先生にはホントマジ感謝してますわ。私のカメラワークや動画編集は、その山上先生直伝なんすよね。まあだから素人くさいんですけどね💦ただ、いま美田園高校には部活というものが無くなったと言う噂を耳にしました。
一高通信制では、正直こと勉強に関しては物足りなかったです。ラク過ぎて。ブランク6年あっても十分ついていけるレベルでしたが、勉強面以上に、このビデオ撮影と動画編集が、めっちゃ役立ちました。結婚式があるとやたらビデオ撮影させられることになりましたし、いまはYouTubeや TikTokで使ってますからねぇ。
人間ってホント、一寸先に何があるか分かりませんね。怪我の功名というのか、一事が万事というのか…
分からないのが人生ですね。