仙台人ということもあり、私の周りに被爆者が居なかった。ただ一人、中学生だった時の社会の木皿先生のみだった。
あの頃、私は『たかはし君は社会得意だよねー』と言われることが多かった。なもんで、木皿先生に原爆のことを聞いてみたいと思ったが、何故か木皿先生の近くに行くと『彼は本当に話したいと思うのか、話したくないことなのではないか?!』という疑念が湧いて、結局木皿先生に原爆のことを聞くことが出来ずに卒業してしまった。
今にして思えば、聞いておいた方が良かったのか、悪かったのか、全く分からないけどね。
ただ、我々が中学生だった時は、学校の先生のなかにも一定数『戦争体験』をした方が居た。なかでも一定数『徴兵経験者』も居た。元軍人だった人はとにかく厳しかった。ただ不思議と、軍人経験のある先生って、厳しさの中の優しさがあり、自分は殴られた記憶が全然ないんですよね。
むしろ軍人経験の無い若い先生の方が殴ってくるケースが多かった。ただ不思議と、殴る先生の方が私は好きだった。
軍人経験のある先生の瞳をみるのが私は好きだった。怒っている表情のなかにちょっとだけ垣間見える悲しみなのか哀しみなのか、何なのか今なお分からないけれども、ほんのちょっとだけ感じる何がね。
あの頃、先生という人種には今みたいに学校と言う世界しか知らない人だけじゃない時代だった。この軍人経験者と言う方々がいい味出していたように思う。
なもんで、今の世の中、生徒が少しかわいそうだなぁって思うんですよね。