私は同業の方を『先生』とはなかなか呼ばないです。自分の目で見て、本当に先生と呼ぶにふさわしい方しか、先生と呼びません。
私が現段階で先生と呼ぶのは、
①河本伸力スクールの河本先生
②恵伸スクールの千竃先生
恵伸スクール
③東京の家庭教師の田澤律子先生
④東北開眼塾の西本先生
東北開眼塾
以上、四人を呼ぶときにしか、『先生』と呼ばないですね。もちろん自分も含めて『先生』と呼ぶにふさわしいと思うレベルに達していれば、途中から『先生』呼びしますけどね。
私の持論ですが、一般的に塾や家庭教師にはなかなか『先生』たるに相応しい方がいないと思います。てか、私からみて『先生』じゃなくても全然いい指導者はいると思います。
私が『先生』とお呼びする方に共通しているのが『崇高な理念がある方』だけが『先生』と呼びに相応しいと思っています。ゆえに、私はそうした崇高な理念など持っていないので、『先生』ではないと言うだけのことです。
私にはそうした『崇高な理念』は邪魔であるとさえ、思います。『教育は水もの』だと思っています。ゆえにその年々でやり方が変わっていくものだと思いますが、ある一定の年齢になると、己れの年齢が高くなったこともあるのか、ややもすると『○○メソッド』と言うか、指導法を固定して頑固一徹職人のように、己れの独自の指導方法を頑なに守る傾向があるように思います。私はそう言うことをしたくないなぁ、いつもその時その時の『最善手は何か?』を考えつつ、その時その時の時流や最新技術なども取り入れながら、その『最善手』を打ちたいと考えています。
なもんで、私は
生涯、先生じゃない
って、思って日々、活動しています。理念がない分、フレキシブルにその子その子に応じた『最善手』を打って行きたい、より良い教育・より良い指導法があれば、あの手この手で取り入れて、その子が良き方向へ行ってくれればなぁ〜っと思って日々過ごしております。
正直、河本先生目線からすれば『甘い』こともありますが、逆に言えば私目線で河本先生を見てると『古いなぁ』ってこともあります。でも、これってお互いのカラーがあり、お互いの考え方があるってことだと私は思います。十人十色の指導法があって当たり前だし、十人十色の指導者の考え方があって当たり前だと思います。私は河本先生と私とで共通項を探りながら、2人でうまく落とし所を見つけつつ、生徒を良き方向へと導いて行ければそれでいいと思います。
時に意見がぶつかり合うこともあるやも知れません。が、そうした場合もどちらかが引くとか二人で歩み寄って落とし所を見つけて行けばいいだけだと、私は思ってます。
私自身も河本先生に習った一弟子なので、河本先生の考え方はよく分かりますし、一応ここの塾名は『河本伸力スクール』なので、代表者たる河本先生を立てなくてはならない場面もあります。まあそうやってうまく折り合いをつけながら、良き方向へと導いて行ければなぁって、思っています。
この仕事は結果が全てである面もありますが、正直『親では絶対出来ない教育』っと言うものも純然たる事実として存在します。ある塾みたいにナンバースクールに入れることが正義、ではありません。むしろうちは一高ニ高に行く・行けるような頭のいい生徒だけ集めてってスタイル、点数で縛って一定以下のレベルの生徒は入塾させないと言うスタイルに、違和感しか感じません。そうした選民思想、ガンダムでいうギレンザビの優性人類創造説や、デュランダル議長のディステニープランのようなやり方は良くないなって、自分は思います。うちはニュータイプやコーディネーター養成機関ではありません。誤解を招くとあれですが、私、そうした選民思想を取り入れている塾を否定するつもりはありません。親御さんや生徒にはそれなりのニーズがあって当たり前なので、それを良しとする方は、それを良しとすればいいだけの話なので、そういう生き方で差別化を図るってのも一つのやり方だと思ってます。親御さんのなかには『成績絶対主義』の方も居ると思いますしね。もちろん成績上げることにこしたことはないですが、なかなかそこまで行くには難しい生徒もいるにはいるのも事実です。そうした生徒まで私は見捨てられないと言うだけのことなのでね。これも一形態ではないかと私は思ってます。
私は人を選別するにたりうる人格は備えてないと、思ってます。だから、『置かれた場所で咲きなさい』、こそがベストだと思っています。
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