合宿手記男子編です。
男子は中三に関してはほぼ予定通りにメニューがこなせた人が大半だった。合宿前は割と我の塊だった人が先生の話を受け入れてくれて、ワークのクオリティの向上を合宿中にやってくれた。
が、その一方で合宿前は『この子、素直でいいな^_^』って思ってた子が、合宿中に強固な我を張ってきて、自分流の型にこだわってこちらが想定したメニューをこなせなかった子がいた…こちらは公立高校の過去問をやらせたが、全然過去問がやれなかった。
それと自分では『俺、頭いい』って思っていたのに、合宿の席で隣に座った同じ志望校を受けるライバルになるであろう子には、全然太刀打ち出来なかった…こちらの子も高専の過去問をやらせたが、お呼びじゃない訳ではないが、サクサク解いてるライバルに比べると、自分で自分にかなり見劣りしただろうなって思いましたね。
皮肉なことにこの2人、双子でそうだった…
双子2人して、合宿で何を思い、合宿から帰ってきてそのことについて自分とどう向き合っているのかとても興味津々だ。
双子ちゃんは過去問を解くのに、果たして自分に何が足りないのか?そして、志望校に受かるにはどう自分を補強して行かなくてはならないのか?
ただ、この双子の2人、1人は隣に座った同じ志望校の高専受験生に比べてだいぶ自分が見劣りすると感じたことだろう。どう感じてくれたかな?そして、もう1人の双子の片割れはまだ双子の相方ほどは感じては居まい…己の下手さを知りて一歩目と言う感じにもなっていないのが偽らざる実態さな。
正直、この双子の2人。同じ双子同士でも合宿で明暗が分かれたかたちになっている。
明の双子
暗の双子
自分の弱さが露呈した双子
自分の隠していた悪さが露呈した双子
自分に何が足りないのか悟り始めた双子
自分と言うものを出して自爆した双子
合宿メンバーでは実はこの双子に始まり双子に終わった感が強い。まあ目立った子は別にいるが、その子はまだ中二。いくらでも直せる。しかし、双子は中三だ。受験日まで時間は有限だ。合格するには何が足りないのか?そこを双子にはしっかり考えて行動して欲しい。
双子以外だと、合一番目についたのが合宿前にお母さんからアッと驚く進路を提示してきた子だ。この子はずーっと◯◯◯部がある高校に行きたいって言っていた子だ。しかし、中三の土壇場になって、それまでの方針をかえ、まるっきり違う方向性を提示して来たのだ。このお母さん、実はこの子のお姉さんの中三の進路の時もこんな感じだった。
果たして本当に本人の希望を尊重した進路選択だったのだろうか?果たして本当に本人のためになった進路選択だったのだろうか?私には疑問が残る受験終了劇だった(〃´o`)=3三年後の今年、その弟くんからお姉ちゃんの行く末を聞かされると、余計にその思いが強く心を支配する…
あれから三年…次は弟くんの進路だ。
お姉ちゃんリターンズって感じがしてならない。でもこのお母さん、もともとこのご家庭を紹介してくれたのは三年前に双子でMVPを取った子のお母さん。こちらは私が双子2人を教えた。しかし、何となく私がお母さんに物申すことをお母さん自身が煙く感じている気も私はしている。故にここの子は姉・弟ともに家庭教師は私ではなく、高専女先生が行っている。
合宿中にその弟くんにだいぶ入れ知恵をした。が、お姉さんの例もあるので、その弟くんが果たしてお母さんのその思い・子を案じるが故のお母さんの行動を、彼は上回ることが出来るのか?その一点に尽きるだろう。個人的には、隣県しかも大東亜帝国レベルの大学附属なら、まだ日東駒専の大学附属の方がマシじゃね?しかもその日東駒専の大学附属よりも近い、我が宮城県に某日東駒専の大学と提携してる高校あるやん。おまけにその高校には◯◯◯部もあるやん。大東亜帝国で出来て、日東駒専で出来ないことなど何もないやん?そう言う思いしか私にはもてなかった。
その辺り、息子ずてにお母さんの耳に入ったことだろう。お母さんがどう思うか?益々私はお母さんから疎まれるかもな(〃´o`)=3でも、言わずには居られない。恐らく本人もそう言えまい。
指導プランも、お母さんの考えを入れつつ、私の考えを融合させた合宿メニューだった。果たしてお母さんはこの学習メニュー、お気に召してくれたかな?!
断っておくが、私はお母さんに否定的な訳ではない。若い人達の言葉を使うと『ディスってる』と言うらしいが、その若い人たちが使う『ディスる』自体の意味が最近変わって来たようにも思う。もともとの『ディスる』は『侮辱する』だったのが、いま若い人たちが使ってる『ディスる』は『批判する→一方的にやり込めるないし否定する』に意味合いが変わってきてる気がする。若い人が使っている『ディスる』のニュアンスに、私は違和感しか感じない。私は某塾の先生と会うと、私とそう年齢も変わってないはずなのに、この先生は簡単に『ディスる』と言う言葉を使ってるが、『この人、俺と大した年齢もかわらないのにディスるってニュアンスに違和感感じないのかな?!』って思いが強く湧いたが、私は敢えて言わないで黙って聞いていた。
基本的に、本来、我々の年齢で他者を『ディスる』ことなどまずない。何故なら批判する意味がないから。建設的なその方とは違う他の意見の提示だと、私は思ってブログには書いている。まあ若い人からはそれを『ディスる』と思われるのかも知れない。が、少なくとも私自身は『ディスる』に当たらないと考えている。『ディスる』と言う言葉には違和感しかないと言うのはそう言うことだと思う。だから私の辞書にはディスると言う文字がない。若い子にはそう言う風にはうつらないのかもだけどね。
と、同時にこれも若い子の言葉でマウントを取ると言うのがあるが、別に私の意見を採用して欲しくて私は言ってるのでもない。早急に志望校を決めつけるのではなく、多角的に色々考えて、子どもだけで決めるのでもお母さんやお父さんだけで決めるのでもなく、家族で話に話し合って、お母さんがマウントを取るのでも、お子さんがマウントを取るでも、私がマウントを取るでも無く合議体でしっかり話し合って、みんなが納得ずくで進路を決めて欲しい!って願っている。
そのために、私は彼に合わせて花山に向かう際に流したDVDには『原点回帰』と言う意味で流した。彼もちょっとは感じ取ったらしく、バスを降りた際に、『先生、このDVD、俺のためにながしたんでしょ?』っと、声を掛けてくれた。確かにあのDVDは彼のために流したが、果たして彼はあのDVDを流した私の真の意味をどこまで汲み取ってくれたのかな?!そこは謎だ。