いま、夏休み中で中学校から
バカじゃないの?
最新の覚え方ってのは
(例:difficult 難しい ディーアイエフエフシーユーエルティと、声に出して何度も読む)
(例:take 連れて行くタケ ティエーケーイー)
ノート1冊・プリントうん10枚にびっしり単語書いて来い!
って、宿題を科す中学校が少なくない。
そんな宿題、今時もうナンセンスだと、私は思います。
今年だと、
富沢中の夏バテによく効く英単語とか、
仙台二中の教科書丸写しの宿題とか、
岩沼西中の教科書丸写しの宿題(しかも中三に)とか、
吉成中の単語書き取りの宿題とか、
東向陽台中のOne Oneノートとか、
バカじゃないの?
いつまで昭和ナイズした宿題だしてるの?
最新の覚え方ってのは
ですよ。
覚えるまで何回も書くって、昭和ナイズし過ぎてるんすよね。
なもんで、近年、たかはしの生徒たちに私は単語や漢字を書かせること自体やめさせてます。
今時の暗記方法は、
①声に出して何度も発音する!
②今まで書いてた(書かせられてた)ことを、全てスペリングにして声に出してやる!
(例:difficult 難しい ディーアイエフエフシーユーエルティと、声に出して何度も読む)
③覚えにくいときは、ローマ字風読みとか、語呂合わせも併用して音読する!
(例:take 連れて行くタケ ティエーケーイー)
(例:kennel犬小屋 ケン寝る ケーイーエヌエヌイーエル)
④①で声に出して録音したやつを聴きまくる
てな感じが、今時です。
書いても手が疲れるだけで、非効率的だとおもいます。
だから、大人が子どもたちに、非現実的な自分がさせられた勉強法をおしつけないであげてほしいです。
漢字もそう。社会や理科もそう。全く同じなたわけなんです。
単語や漢字の書き取りなんて、昔のウサギ跳びみたいなもんですよ。
平成の子どもたちには、平成の子どもたちに対応した生活習慣があるように、平成の子どもたちにあった勉強法だってあるんです。
我々昭和の人間は、時として何でも精神論を平成の人間に強要しがちですが、平成の人間の生活習慣と、昭和の人間の生活習慣って違うんですよね。
例えば、いま90歳くらいの大正時代の人って、男尊女卑で女性に不完全な人権しかなかった世の中だし、儒教感覚が強く年上を立てる世の中だったし、おまけに精神論がきつく、銃剣や竹槍と精神論で近代的なアメリカ軍の軍備に対抗しようとしてたりしました。しかし、それではアメリカには勝てませんでした。
で、我々昭和の時代は、戦後そうしたアメリカナイズした考え方と、その大正時代の人間の考え方がミックスされた昭和的精神論とでも言える感じの世界でした。学校ではそうした前近代なことがまかり通ってましたからねぇ。熱いときに水を飲むのはダメだ軟弱だとか、子どもがうるさいとすぐビンタ・ゲンコツ、勉強では何回・何十回も書かせるとか、スポーツなんかだとやたら頑張れ・気合いだの連呼みたいなね。
平成の人間には、そうした無駄で非効率的な精神論を押し付けても、彼ら彼女らには違和感でしかないんですよね。パソコン・スマホ・タブレットの登場で、我々の時代のような気合いで回数こなして指にタコ作る勉強法って、もはや前近代な勉強法は時代錯誤なことなのですよ。
だから、いま、そんな大した書き慣れてもいない、軍隊式な棒で叩かれて正座を長時間強要される機会も少ない彼ら彼女らには、和的な行いは到底受け入れられるもんじゃないんです。
我々もその時代その時代にあった勉強法に、バージョンアップして行かなければなりません。それを今の中学校では、やらずに、まだ軍隊式な勉強法がまかり通ってます。特に今の親御さんなんか、その時代の寵児でしたからねぇ。
だからお母さんたちも、今時の子どもたちにあった勉強法の『声に出す・それを録音したものをipodなどの機器で聴いて反芻する・映像授業を多用する』なんてことも、取り入れていかなければならないんですよね。
我々大人は、こうした今の時代にあったことを提案して欲しいものです。時代錯誤のものを提案するのは、愚の骨頂なのでね。
振り返ってみると、私が学校で習ったことで覚えてることって、必ず音声なんですよね。なもんで、平成の勉強法は書くよりも音声と映像を多用した勉強法ですから。