家庭教師をしてるとよく、
take-took-taken
『先生の指導は分かりやすいです』
と言われることがありますが、私はこの言葉って、よくサラリーマンが、
『そのうち飲みに行きましょう』
っと、仲良くなった風を装う社交辞令と同じだと思っています。
何故なら、私達家庭教師がやることは、分かりやすい指導をすることではありません。そう、覚えてくれる指導・点になる指導をすることなんです。分かったって、点にならない・覚えてないじゃ意味無いんですよ。
なもんで、私はいま春期講習で2人の先生たちには、覚えやすい指導を重視して、敢えて分かりやすさを度外視させています。塾講師あがりの人は小手先の指導・口先3寸で聞いてるだけで分かったような指導=大手予備校講師の指導=魔法の指導、これをついついリスペクトしちゃうんです。
でもそれ故に、そうした分かりやすい指導は、生徒側の考えること・覚えることを度外視していると言えるので、私は覚えやすい指導・記憶に残る指導こそが一番の褒め言葉なんですよね。
例えば、うちの先生たちで、私に直接教わった元生徒は、今時分に、不規則動詞変化を中二も中三もやるんですが、
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タケ、とぅっくに他県
タケ君は被災して避難勧告を受けて、とぅっくに他県に転校したんだって(笑)
と言う小ネタを私、ちょいちょいします。これをよくうちの生徒たちに教えてる先生が居たりします。これって、分かりやすい指導では無いけれども、覚えてるから教えてるんですよね。覚えやすいのかどうかも正直分かりません。でも、自分の知識として入ってるから、うちの生徒たちに元教え子が教えてるんですよね。
結局、私は大手予備校講師のように、分かった風な指導をして、クレーム対策をするよりも、生徒がジジババになっても覚えてる指導こそが最善なのだと思っています。13〜15歳に教わったことが90歳でも覚えてるインパク値が高い指導、これが最善にして最良の指導だと思います。
で、ついで、刺さりやすい、入りやすい指導こそが次善の指導かなぁって思ってます。で、刺さりやすい・入りやすい指導って、時として分かりやすさとは相反する指導だと、思ってます。それって見た目、子から伝聞して親が聞くと地味なのでね。これを私は『(心に・魂に)刻む指導』と、呼んでます。
今年はこの『刻む指導』が私の一大テーマになってます。だから、分かりやすさは結構除外した実践的な指導が中心になってます。
考えるまでもなく、手が勝手に答えを書いてくれるくらいで、ちょうどいいんですよね。